わたしの半生とかの話

くだらない話だと思う、ただの人生振り返りみたいな愚痴ともいえないものだから。

これは、わたしがいかに無能かという話をするための記事である。

違うな、支離滅裂で感情を吐き出したかっただけである。

自分の無知を広めるのは好きではないが、自分の無能さを書いていこうと思う。

どれほど無能かというと説明が難しいな…落ち着いてゆっくり考えたらhalloがハローこんにちはという意味だな、とわかるが少しでも人がいたり思考が乱れると読めなくなる。

知識が乏しい、端的に言うと勉強ができないバカである。

この世界に無知すぎてよく怒られている、この前は車がガソリンを使ってどうやって走っているかを答えられず怒られた。

基本的に学がなくて怒られることが多い、好きなことですら努力もできない。

まぁそんなことはどうでもよくて…、わたしは母が倒れてからヤングケアラーであった 高校一年生の夏から始まり、現在はヤングではなくなったが介護をして過ごしている。

最も夢を追いたかった高1の夏から始まり、何もできず自分の行動を制限されるのがとてもツラかったことを覚えている。

学校が終わった後許されているのは母が倒れる前に始めたバイトのみ、耐えられるわけがなく一度だけ嘘をついた「今日バイトがある」

その一度がバレて信じられないぐらい怒られた、今までの信用すべて台無しである。

母には仕方がないといわれたが、父はそうもいかず母が退院して話し合いになるまで許されることはなかった。

もう話に出さないというだけで根には持たれているのだが。

最も自由に動きたかった高校の頃に動けず、社会人になったらなったでなった年のGW中に祖母が亡くなり休暇を取る羽目になり、浮いた空気に耐えられず辞めた。

耐えることができなかった、弱い。精神病を言い訳にしてしまった。

手帳持ちになったのもこの頃である。

その後は日銭を稼ぎながら母の介護をする日々だった、といっても母は自分でできることが多いから両手が必要なときに手伝ったりとその程度だが。

だが、母が何かをしてほしいとき大概動くのはわたしで母の希望を聞くのはわたしの仕事だった。

そんな生活が10年続いていたとき、母の乳がんが発覚転移が目立ちステージ4である、もちろん10年生存率だってないわけではないが5年生存率の方が濃厚なのはあきらかだろう。

わたしは、どうしたらいい?

15歳から母の病気に振り回され続け、生きる理由にしていたわたしは、母がいなくなったらどうしたらいい?

最近苦しむ母を見ることが増えた、痛いとうずくまる母を見ることが増えた、痛いと過ごす数年より痛くない1年を過ごしたいと言われたわたしはどうしたらいい?

死にたいとは言わないが、150歳まで生きるんだ!って言い続けていた母が最近は言わなくなってしまった。

母が命を感じているのを目にするたびに悲しくなる、どうすれば母は生きていられるのだろうか?

猫が死んだときもそうだったが、わたしより先に死なないでほしいと思うのは罪なのか?ならわたしが先に死ねば解決か?

だがわたしは小学生の頃から死が怖かった、なんなら幼稚園にまで遡るかもしれない。

死んだら何も感じず、何もなく、今考えていること感じていること、全てがなくなる、想像しただけでも怖い、忘れられるのが怖いなどではない、なにも意識がなくなるそのことが怖い。

小学校に上がる際、わたしより下が生まれなければこの世界が終わるに違いないと思ってずっと過ごしていたことをアラサーになった今でも覚えている。

わたしより下は生まれなければ良いと思っていた、本気で。

そんなことはあり得ないのだが。

その恐怖を母がいま、現在進行形で日々味わっているのか?

嫌すぎる。

母は自分が脳溢血をやった際に死んだと思っていたからその後の人生はおまけだと、楽しく生きていればそれでいいと口にしていたが、だめだもう打てない。

半端だが今回はこれで終わりとする。

また気持ちが落ち着いたら書こうと思う、それでは。

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